行雲流水 「ぼやき納め」


行く年来る年。
今年もいろいろありました。
明年はどうなるのでしょう。


顧みれば、耐震偽装、ライブドア、米国産牛肉、防衛庁官製談合の4点セットという、自民党を追い詰める絶好のチャンスを得ながら、野党第一党の民主党自ら、偽メールで自滅するという、無様な有様で見事に自民党に体を躱されてしまった。

民主党が支払った代償は、メール問題追求の急先鋒だった議員の辞職と、執行部退陣だった。

世間は、マスコミが面白可笑しく報道する政争に乗せられ、自民に喝采を送り、民主に幻滅した、

誠に政なき有様だった。

調子付く自民に、北の将軍から嬉しいプレゼント(ミサイル発射)が、贈られた七月、既に後継と目されていた、安倍氏の総理就任が不動のものになった。
そして、拉致問題に関連して北朝鮮を、罵るだけで最高権力を手に入れた、唯一珍しい総理が誕生した。

権力を手に入れた安倍氏は、親分筋にあたる、小泉氏、森氏などと、予ねてから用意していた、シナリオ通り造反組を復党させた。

シナリオは、小泉氏、武部氏が、復党は支持率が下がり参院選挙に、影響がある。青木氏らは、復党させなければ参院選は負ける。
森、中川氏は、元の仲間じゃないかと、情をかける。

幹事長の中川は、けじめと称して、踏絵を用意する。
チルドレンの生みの親小泉氏は「甘えるんじゃない。自立しろ」と引導を渡す。
最後は、安倍氏が最高責任者として、太っ腹なところを見せて幕をおろす。
シナリオは見事に成功した。マスコミは、この馬鹿馬鹿しい自民党のコップの中の騒動を、連日書き立て肝心の他の政策論議の扱いを少なくしてしまった。我々も釣られて嬉々としていた。

結果、支持率は落ちたが、それも折込済みだ。小泉郵政選挙が、熱に浮かされた国民の、劇場型選挙だったことを承知しているのだ。

あの選挙は稀な現象で、次回の選挙は、そうは無党派層は動かないと、踏んでいるのだ。
与党のシナリオでは、自民・公明の組織票で充分勝てるのだ。
その上、銀行や外資の献金OK.。法人税も下げる。与党に票が集まるべく画策しているのである。一方我々の負担は増すばかりだ。

野党さんどうしますか? 勝算は? 

我々も「どうせ直ぐ忘れる}と馬鹿にされていますが、野党が簡単に腰砕けにならず、徹底的に抗戦してくれれば、応援しますが……。

それと、マスコミの報道は注意深く観察する必要があります。
最近の報道でも、税調会長が辞めた、○○大臣が辞めたと、チンケなスキャンダルを大仰に報道しておりますが、他に国民に周知させるべきことがあるのでは?

教育基本法が成立した途端、「いじめ」履修漏れ」「やらせ」が殆ど報じられないのは何故? 

それよりも、教育基本法が成立したことで、我々や子供達に及ぼす影響が、どのようなものであるか、良いことばかりなのか、逆なのか。善い事、善くない事を併記して分かりやすく、解説するのもメディアの職能の一つだと思いますがね。

まだ、いろいろありますが、取りあえず、ぼやき納めとします。

「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 (狂雲集)
誰でも知っている、一休さんの句です。

この句は文字通りでしょう。しかし年を重ねると実感する、不思議さを持つ句でもあります。
もう一つ、「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」というのもあります。

これはある公案の課題に答えたもので、これで師の華叟より、一休の道号を授かったそうです。
有ろじは煩悩の世界、無ろじは悟りの世界、つまりこの世とあの世ということでしょうか。

これには、こういう話もあります。一休はこの文を認めた手紙を、弟子に一大事があるまで読んではならぬと、申し渡していた。
弟子が寺に一大事が起きたとき、手紙を開いてみるとこの言葉か書かれていたという話である。

謂ってみれば「風が吹いた、雨が降った。まあ、そう慌てふためくな。風が吹くのも、雨が降るのも、当たり前ではないか。じっくり腰を落ち着けて対策を講じろ、下手な考え休むに似たり」ということでしょうか。
一休さんのように悟りを開いたお方には、もっと深い意味があったのでしょうか。

烏の泣き声を聞いて大悟した一休さんですが、「死にとうない」が、臨終の言葉だったと伝えられています。

時代は違いますが、最も人々に愛された僧の一人に良寛さんが、おられます。特に子供達を愛してやまない人でした。子供たちも良寛さんが大好きで、愛していました。

良寛さんも一休さんと同じく多くの、詩文、書画を残していますが、こんな文もあります。有名ですから、ご存知だとは思いますが。

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」

三条大地震の時に友人に宛てた手紙の一節である、この文は誤解されやすく事実非難した人もかなりいたと謂われている。

しかし、一休さんも、良寛さんも悟りの境地に達した人で、寺に籠って胡座をかいている人ではない。
『自然の脅威や人生の儚さを歎くばかりではいけない、こういう時こそ励ましあって進もうと』、言っているのでしょう。

どの時代でも、似非文化人はいるもので、一休、良寛さんとも、非難の対象だったのであろう。彼らの嫉妬や妬みだろう、何故なら二人とも、学問も、書画も詩才・文才も一流だったのであるから。

また、二人とも戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら、一休さんは、肉食、女犯。良寛さんは、大の酒好きでした。

私との共通項を、やっと一つ見つけました、嬉しい~。

今年の仕事を納められた方、一年間ご苦労様でした。充分休養して、英気を養ってください。まだまだこれから、ひと踏ん張りしなければならない方、正月も出勤される方、同情致します、一区切りつけばゆっくりとお休みください。

これからが、冬本番ですが、寒がりの私は、春を待ち焦がれています。


春よ来い 早く来い♪~
 歩き始めた みいちゃんが
 赤い鼻緒の じょじょ履いて
 おんもへ出たいと 待っている
 
春よ来い 早く来い♪~
 お家の前の 桃の木の
 蕾もみんな ふくらんで
 はよ咲きたいと 待っている








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